Why ひとびと ?

「自然界の一部になった感覚がある」 島の未来を担う柑橘農家

Why ひとびと ? みかん オレンジ 松山市 果物 農業

2023.01.18

PROFILE

田中佑樹

農音

愛媛県松山市出身。高校時代よりバンド活動に精を出す。大学進学と共に上京。バンドを続けメジャーデビューを目指すが、次第に志す方向が変わり、田舎志向が強まる。雑誌編集の経験を積んだのち、より自然に親しむ暮らしを望んで移住。農音(のうおん)を立ち上げる(後にNPO法人化)。メディアを活用し地域活性に貢献している。柑橘農園の他に移住促進、耕作放棄地の再耕、音楽活動など多岐に渡る活動を展開する。

田中佑樹さんのこと

「島暮らしでは、都会で感じていた、生きることや生活そのものに対する違和感のようなものが極限まで抑えられている気がします。島ではイノシシやスズメバチを駆除することがあるのですが、自然の中で生きていくためにはそれはごく自然な行いなんだという実感が持てたんです」

そう話すのは、愛媛県松山市の離島・中島でNPO農音(のうおん)を立ち上げ、代表を務める田中佑樹さん。中島は、瀬戸内海国立公園に属する忽那諸島の最も大きな島で、島全域に柑橘の畑が広がる、国内有数の柑橘の産地。農音では、柑橘農園を営みながら、中島産の柑橘の販売や、移住支援活動、有害鳥獣対策活動、そして音楽活動などを行っています。Why Juice?には毎年秋から春にかけて、田中さんたちからみかん、ブラッドオレンジ、清見オレンジなどが届きます。

愛媛出身で、島暮らしを始める前は東京でバンド活動に励んでいた田中さん。「農音」の名は、バンドマンの精神からつけたのだそう。今回は柑橘の魅力とともに、移住の背景や、今後の農業についての考えを伺いました。

 

思い描く“人間らしい生活”を求めて

「ずっと田舎暮らしがしたいと思っていました。愛媛で育ちましたが、住んでいたのは松山市郊外の住宅地で、自分の気質からするとあまり面白くない場所で。東京に出てみたら、楽しいけど、あまり暮らす場所じゃないなと思いました。自然に親しめる場所があまりないし、人々の実際の生活と、自分が考えるあるべき生活とが離れているように感じました」

大学進学と共に上京し、バンド活動にのめり込んでいたという田中さん。当初はメジャーデビューを目指していましたが、「ある時から、バンドが売れることよりも、自分達が表現したいものは何なのかを大事にしたいと思うようになって。売れるということを考えなければ、東京で音楽をやっている意味ないよねと、徐々に田舎志向になっていきました」と話します。

 

「本質は情報にある」

そうして田中さんは仲間とともに移住を計画し始めますが、準備の一環として、東京で編集者になる道を選びます。目的は、メディアについて知見を深めること。田中さんにとっての「移住」には、自分たちの暮らしを変えるのみにとどまらず、地方の生活の魅力を発信し支えたいという思いも込められていたのです。

「ルアーフィッシングの専門誌の編集者になりました。釣りのルアーひとつとっても、見せ方によっては大きなお金を落とす人がいる。音楽をやっていて表現するということ自体に関心があったので、物の価値をどう表現するか、それがどれくらいの価格で売れるのが適正なのかを考えるのは面白かったです」

編集者として経験を積むうちに、「“本質は情報にある”ということがわかったんです」と田中さん。「それ自体は100円のものだったとしても、有効なものだと示すと10000円で買う人がいるかもしれない。情報には、価値の不確かさと本質があるんだということを学びました」

そこで得た学びと感覚は、今の活動にも生きているそうです。「なんの変哲もない島ですけど、見せようによっては魅力的になる。海がきれいで、魚がいて、豊かな自然に囲まれた贅沢な環境なのに、誰も目を向けず、良い移住先として知られてこなかったのはなぜか。それは、情報発信ができていないからです。島の良さを発信していくことを、自分ならやれる、と思いました」

 

「最初はバンドのノリで」

数年編集者として勤務したのち、いよいよ中島へ移住します。「この島で生業にするとしたら農業以外ない、中でもみかんしかないんですよ。そこでまずはみかんの勉強をということで、移住してすぐの頃はみかんを販売する仕事をしていました。一年ほど勤め、島について色々と勉強したのち、元々やりたかった地域活性のNPO(農音)を作りました。ちょっと見切り発車気味に独立起業したような形です」

「最初は、バンドのノリでした」。気の知れた仲間と集まり、音楽をやりながら畑を借りて始めてみよう、自分達で柑橘を販売してみよう、移住したい人の支援をしよう、とひとつひとつ挑戦を重ねていきます。「はじめの5人目くらいまでは知り合いの知り合い、っていう広がり方だったんですけど」。次第に、人づたいではない外からの移住希望者が増えていきました。

「“自然発生的に生まれた地域活性の動き”ということで、メディアに取り上げていただく機会が増えていったんです。バンドマンみたいな、よくわからない奴らが変な動きをしているぞと。僕らから意識的に自分たちと島のことを発信している節もありました。話題を提供していれば、広告費を使わずに情報を発信していくことができます。それが地域活性に繋がっていくなと。団体もですけど、島の売名行為をなりふり構わずやっていたという感じです」

高齢化が進んでいるコミュニティは、20代から40代の居住者が少ない傾向にありますが、農音の活動3年目ごろには中島への若者の移住者が増え、そこが補填されていったと言います。彼らが地域の消防団の戦力になったりと、地域貢献につながっているそうです。

田中さんたちが現在力を入れていることのひとつは、耕作放棄地の再生。「耕作放棄地になっていたり、なりそうだった畑を活用しています。高齢の農家さんがちょっともうしんどいから、面積を減らしたい、もしくはやめる、というところを、借りる。その場合は楽なんです。元々畑だから。みかんの木もあって、すぐある程度のお金になるんです。ここ1、2年は、雑木林になってしまった放棄地の開拓も始めています。農音のメンバーが販売を頑張って、ある程度のお金が回るようになったので、ゆとりができて、すぐ収益に繋がらないことにも取り組む余裕ができました」

 

中島での柑橘栽培

「島を吹き抜ける潮風と雨の少ない瀬戸内の気候が、おいしい柑橘を育てるんです」と話す田中さん。「中島は花崗岩質の土壌で、柑橘栽培に最も適していると言われる、水捌けが良くて、痩せている土地。水持ちがいい粘土質だと、水があるから、木が元気になる。木が元気すぎると、実の方に味が乗らなくなくなるので、ある程度、収穫時期になった時に水が不足気味で、畑に窒素肥料が不足になるようにしておかないと、おいしいみかんになりにくいんです」

さらに、中島がいかに柑橘栽培に向いているか、理由を教えてくれました。「年間日照量が2000時間を超える瀬戸内の気候。品種にもよりますが、一般論として、みかん栽培には日光があるに越したことない。それに見合う日本国内でも屈指の気象です」

「さらに、島特有の気候。周辺が全部海なので、風が海の上を通るときに、海がクッションのような機能を果たし、夏は暑くなり過ぎず、冬は寒くなり過ぎない。海に守られているんです。大きい寒波が来た時に、マイナス4度が柑橘の木のデッドラインなんですけど、そこまで下がることがほぼないんです。安心して農業ができるという意味では、海に囲まれているという環境は強い」

「そして、エビデンスとしては弱いけど、潮風が運んでくるミネラル分。目に見えて波が砕けて海水が島に吹き付けているのが見えるんですけど、そこには塩分だけでなくて11種類のミネラルがあると言われています。ミネラルは植物にも少量だけ必要なものがあって、本来はそれを肥料で補っていくんですが、ここでは自然が運んできているんです。これは僕の経験からもわかります。今、ヤギを飼っているんですが、彼らも当然塩が要る。山の中で飼っているヤギには岩塩をやらないと、塩分不足になって体調を崩してしまう。ですが海辺だと草に塩分含んでいるので、しばらく放っておいても塩不足になることがないんです。潮風に乗って塩分とミネラルは畑にも運ばれてきていると思います。それと、甘夏に魚粉と海藻を施すのは柑橘農家にとっては定番。土に魚粉をやると味にコクや深みが出てきます」

中島でのみかんの収穫期は10月頭から1月ごろまで。みかんの品種によって3、4ヶ月のばらつきがあります。みかんが終わるとオレンジ系の品種。その後、ブラッドオレンジは2、3月。年によっては4月くらいまで採れます。清見オレンジは4月ごろに出てきます。

「春は、剪定。枝を切ります。みかんの木はある程度、枝を整理しないと、要らない枝が出てきて、木の中が風通しが悪くなるんです。風が通らないし、木の中に日光が通らなくなると、徐々に木全体に病気が出やすくなったりします。なので、要らない枝は落として、要る枝だけにしてやります」

「少しすると、新しい芽が増えてきて、次は根っこを伸ばすホルモンが出てくるんですけど、根が伸びるタイミングでそこに肥料があれば、木が元気になれるので、肥料をやるのもその時期です」

ここまでが、一般的な農業のやり方になりますが、田中さんたちは、除草剤をほぼ使わないため、秋まで草刈りに奮闘し、その傍ら、農音として他に必要な仕事を進めていると言います。

「夏頃に実がある程度の大きさになったら、通常は要る実だけ残して、要らない実を落としていく摘花作業をします。僕らはそこまで手が回らないので、実を成らせすぎなくらい成らせていきます。そうすると、木が仕事を抱えすぎて弱ってくるんです。それで秋頃に疲れたわ、となってくると実が美味しくなるんです。ただし疲れがたまりすぎると、木が翌年サボったり(笑)、そのまま過労死することがあるので、安定経営を目指すなら摘花作業をして余力を残してやるというのが一般的な農法です」

「僕らがやっている農法は、技術的に確立されていると言い難い、いわゆる有機農業に近いこと。農薬や化学肥料に頼りすぎないところを目指しています。結構手探りの部分が多くて。まだ農法としては未完成なんですよね。一方、農薬をバンバン使う慣行農法は作物の完成度が高い。教科書通りにやればそれなりのものができる。参入ハードルがすごく低いんです。その意味で、自分達が目指しているのはハードルが高いところを目指しているので、試行錯誤して、なかなかうまくいかないよね、という部分はあります」

 

 

樹齢を重ねるごとに、味わい深く

「みかんはある程度歳をとって木が成熟してくると、実が柔らかくて、張りはなくても味は乗ってきます。比喩的な表現をすると、若い人の言葉より、歳をとった人の言葉の方が深みがあったりするじゃないですか。そういう感じで。みかんの実、樹齢が30〜40年の木の方が美味しいんです。5年目から実はなるんですけど、おいしくないんですよ。パリパリしてて、元気ばかりの、空回りしてる大学生みたいな感じで(笑)」

「みかんに必要なのは骨格の強さではないってことですよね。生物としてみた時は若い頃の実の方が強いんだと思うんですけど、 食べ物としてみた時にそれはいいことではない」

田中さんたちはここ数年レモンの販売数を伸ばしています。「養鶏しながらやっています。鶏が餌として草を食べる。つまり除草を手伝ってもらうんです。糞がそのまま肥料になるんです。みかん農業で言うと鶏糞は栄養分としては優秀で、レモンとも相性がいい。この春から導入している方法で、この夏は草刈りせずに維持できていますね」

 

柑橘のおいしい食べ方とその活用方法

農音の販売担当の田中あゆみさんが、おいしい食べ方について教えてくれました。「生で食べるのが一番美味しいです。ぜひ冷やさず、常温で。冷やすと甘みが感じにくくなります。料理では、サラダがおすすめです。オイルと合わせて柑橘の酸味を活かすと良いと思います」

また、樹齢を重ねて役目を終えた木は土に返します。「木は、集めて燃やしてしまう人もいるんですけど、僕らは細かくして土地に置いておく。リジェネラティブ農法ですね。植物はC(炭素)を含んでいるので、自然に循環の中に戻っていくんです。一通り分解されるまでは6、7年掛かり、一部は分解されずに土壌に入っていきます。結果、炭素を土に閉じ込めることになり、CO2削減にも繋がっていくわけです。」

 

今後の課題

中島に移住し、農音を営んでいく中で、田中さんが感じている農業の問題点とはどのようなものでしょうか。「農水省が急ピッチで進めている『みどりの食料システム戦略』。僕らが目指そうとしている農業のあり方がまさに描かれているのですが、その方向性が市町村から農家まで降りてこないことを問題に感じています。僕らみたいに消費者側の立ち位置から農業に入った人たちは、元々その重要性をよくわかっているので、ぱっと取り組むことができます。ですが、農村に蔓延している、古くから伝わる思想のようなものがそれを遮っています。客観的に考えれば良くないことが正義になっているのです。ただし、有機農業を20倍にするって言うゴールだけ示して、そこに行き着くためのアプローチを何も考えていない、先導する側も悪いんですよね」。そこに対して、まずは自分たちが行動して行くことで示していくしかないのだと田中さんは話します。

 

販売者にも消費者にも農業を知ってほしい

Why Juice?をはじめとした農作物の販売者や、消費者の私たちへ伝えたいことについて聞いてみました。「農業の現場への理解度が、もっと上がっていったらありがたいです。極端な話、農薬は使わないけど、美味しくて綺麗で日持ちする農産物を送ってくださいと言われると困ってしまうんです。農薬は使わないというのはどういうことかといった想像力を持っていただけると嬉しいです」

「お客様は神様だからと言って要望に応え続けていけばいいかと言えば、そうではないと思うんです。なぜなら、農業だけでなく、全ての需要と共有で成り立っているものは、需要側にも供給に対して圧力をかける力があって、共に作り上げていっているんですよね。Why Juice?さんのような立場の方々について言えば、消費者教育をすべき立場の人たちですから、その人たちがちゃんと理解してないと、誤った考え方が流布されてしまう。世の中を変えていける立場にある人たちなんですよね。農業に対する正しい理解が拡大していけば、消費者全体が『自分は農業してないけど、農業のこと知ってるよ』とという態度になり、きっと農業自体が変わっていくんだと思います」

 

おわりに

社会に対する「生きる」ことへの問いかけを、楽器をかき鳴らし声をあげるだけでなく、違った角度からも具体的に活動していく。それがバンドマン精神を貫きながらも実践している、田中さんたちのあたらしいアプローチなのです。

最後に私たちへの宿題を提示してくれた田中さん。このインタビューを皮切りに、私たちもより学び、正しい情報を伝えていきたいと思います。

みかんが樹齢を重ねてそのおいしさを増していくように、田中さんたちの活動や暮らしも、より熟したものになっていきそうです。Why Juice?に届く柑橘を通じて、今後も田中さんたちのメッセージを発信していきます。

 

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